靴棚/本棚/電子レンジ/変圧器/ティファール/フライパン/鍋/ベッドスタンド/ ベットテーブル/タンス/食器
自分で驚いた。全て貰い物だったのだ。 もともと私は物を貰うのがどちらかというと苦手なタイプだった。 いつから私の家は、こんな風になっていたんだろう?
私の友人で関谷綾香という貰い上手な人がいる。 私はそれを見るたびに、 「え!?それくらい自分で買いなよ!」とか 「なんでこの人はなんでも人から貰えるんだろう? 私は全部自分で買っているのに・・・。」 と、当時学生だった私は”そんなに貰って図々しいんじゃないか?”と嫉妬に近いような感情を持ったことがあった。 そんな私は“物は買う物”だと当たり前に思っていた。 でも、貰い上手な人たちの人生を見ていたら私の中のなにが変わっていった。
貰い上手のその子はよく見ていたら あげるのも上手だったのだ。
例えばどこかに旅行に出たら 「あ!このペン、あの人が喜びそう! あ!この本、あの人にあげよう!この言語読めるわけないんだけどね!だっはっは!笑」
“誰かにお礼を”という丁寧な感情というよりは “お世話になったことがあるとか、そんなのどうでもよくて。あの人が、これ持ってたらまじウケる!” みたいな、無差別的なお土産の買い方で、自分の想像の中で遊ぶようにお土産を選ぶ人なのだ。
そして突然出会ってしまった人のためにと、現地の言語が書かれた小分けになった渡しやすいお菓子を幾つか買う。そんな未来で会う予定のまだ名前も知らない誰かにも。なにかあげようとするのだった。
ちなみに彼女は今パキスタンに住んでいるんだけど、あげる上手はさらに磨きをかけていて。 パキスタンを訪れた共通の友人にお土産を持たせ「これを石原に渡してくれ!」と言って運搬役を頼んだと思ったらその中にさらに「このノートはあの子に、この手紙は日本に帰ったら誰々に郵送しといて」 と繋がった人のその先の先の人くらいにまでプレゼントを用意している。
貰うの達人は、あげるも達人なのだ。
さらに究極の貰い上手の友人・知人の中には、
「家ほしいな〜。」 「もらってください!」 「まじすか!ありがとうございます!」 「この国に行ってみたいな〜。」 「交通費出すので行ってきて!もしくは来てください!!」 「まじすか!ありがとうございます!」
的な貰い方でどんどん願いを叶えていく。その爽快感はいつもブログを読みながら度肝を抜かれることばかりなのだけど、世界の優しさをいつも教えてくれる。
そんな貰い上手な人たちを見てつい数年前の私は、 「あー私には無理だな。だって申し訳ないと思っちゃうもん。 友達が沢山いるわけじゃないもん。 貰える人はきっと、私と違って人徳深いような人たちだから・・・。」って思っていた。
だから、なんでもほしい物はちゃんと買えるようにお金があったほうがいいんなと思っていた。
でも今気がついたら、家の中の大事な家具とか生活に必要なものたちは 貰い物に助けられて生活している自分がいるのだ。 本当に驚いた。
「え・・・???なんでッ!?」 考えた。
“物は買う物” という意識がいつか、 “物はあげるもの”
に変わった瞬間が私の中にあったのだと思う。
それは、例えば 孤児院の子どもたちにチョコレートを配る企画について行った時に
頭にシラミが湧いてしまうような所に住み、シャンプーも手に入らないような環境の子にとってとても高級品であるチョコレートを貰ったその子が。 チョコレートなんて食べたい時にいつでも食べられるはずの日本人の私たちに 「あなたにもあげる」と一粒チョコレートを差し出した瞬間。
金銭的に貧しいはずの子が、今目の前にいる、金銭的に豊かであろう日本人に、笑顔でチョコレートを分け合って食べようとしてる。「一緒に食べよう」って。 喜びを共有する優しさをくれたとき。
本物の豊かさはここにあるんだよ。って、神様が教えてくれた。
フィリピンのストリートの子どもたちと遊んだ時 最後に渡したお菓子の詰め合わせを、その場で食べずに大事に持っていて 「お腹すいてないの?食べないの?」と聞いたら 「家に帰って家族と食べるんだ」 と見せた美し過ぎる瞳。
海外に住むようになって、 誰かと分ける喜びを、彼らに教えてもらうことが本当に増えた。
きっと、物は分け合ったりあげたほうが優しい気持ちに繋がれる。豊かな心になっていくのだ。 売る・買う の世界もとても素敵だけど、それとはまた違う喜びが あげる・もらうにはある。
私はそんな人たちの生き方を見ていて、 すごく所有の概念を打ち砕かれて すごく嬉しくなってしまって すごく幸せな気持ちになって ”もらう”は苦手だったんだけど、 まずはどんどん”あげる(石原用語ではあげる=プレゼント)”をするようになった。
初めは小さなところから。 私は甘い物が好きなのですが、 大好きなチョコレートを貰ったら、レッスンに来てくれる生徒さんとシェアして食べるようになった。 カフェの店員・トゥクトゥクのドライバー・駐車場のお兄さんたちともチョコをプレゼントして一緒に食べた。
駐車場のお兄さんにチップを渡した。そんな小さな物も、恥ずかしいことに初めはとても勇気が必要で、少々の抵抗があった。
やり始めたらどんどん嬉しくなって、 どんどん幸せになっていってしまったので今度は
自分の貯金とかそんなこと気にしなくなってプレゼントを贈りまくった。 本を50冊くらい購入して世界中の本が欲しいと言ってくれる人たちに郵送しまくった。 困っている人がいたら、お金をあげた。 タイの村や、カンボジアの村にトランポリンをプレゼントした。 おかげさまで貯金は一時2525円になった。笑(極端かよ!って話)
こうやって、”プレゼント”が少しづつ得意になってきたら 気がついたらどこからともなく”プレゼントをもらう”ということが自然とできるようになってきて。
“あー・・・本棚ほしいな”と思っていたら 日本に帰国する友人が
"捨てるの大変やからね。あげるわ。"と言ってくれて “え!?ありがたいけど本当にいいの!?売れたら結構いいお金になるんじゃないの!?” “ええねん。ええねん。そんなら電子レンジもあげたるわ!”
とか “まいちゃんにあげたいからいいの!” “どひゃーーー!デターー!!!本当にいいんですか!!ありがとうございます!”
というような神様的な人たちからプレゼントが届くようになった。
いろんな方面から「これいる?」的なありがたいお話を頂くようになってからは、 素直に「ありがとうございます」 と言えるようになった。 きっとそれは、あげる(プレゼント)する喜びを同時にこの世界から教えてもらったからだと思う。
そんな人たちに出会ったりするたびに 「わー世界って、優しいんだな」とタイミングに喜びを感じる。
そしてもっともっと、貰ったりあげたりの喜びを外に回していけたらいいなと、貰うたびに思うのだ。
物をくれた人にもちろん、感謝の気持ちは溢れるばかりなんだけど、 いただいた恩をただその人に返そのではなく、
他の人に別の形で”送る”をするのが面白いのだと思う。 それはあげた人も、さらに嬉しくなれるかもしれない。
貰った恩は送ってみよう! まわれまーーーわれメリーゴーランッ♪♪♪
きっとそうやって回る物は、きっと嬉しいのです。 物にも気持ちがあるって小さい時は思ってた。 大人になるにつれて売る・買うの世界に来てそんなこと忘れてしまったけど。
子どもの時にぬいぐるみとお喋りしていたように 物にも気持ちがあるのだとしたら
人の間を「これもらって!」「えー!ありがとう!嬉しい!」と。
金額の世界じゃなくて、縁や恩の世界で回っていくことは嬉しいことだと思うのです。
というわけで話は変わりますが、夏までにほしいものがあります。
トトトトトトトトトトトトットトトトト
トランポリンがほしいです! (またかよ!結局トランポリンかよ!と言う声が聞こえそう笑)
先日、ラオスで看護師さんをしている女性から連絡をいただいたんです。 「抗がん剤で戦っている子達を笑顔にしたい。 トランポリン持ってきてくれませんか?」というメッセージだった。 「今すぐ行きます!!」と返信したいところだったんですが・・・。
残念ながら旅用のトランポリン、首長族の村にあげてしまったから・・・持ってないんです。涙
運搬とかいろいろ考えたらざっくり5万円くらいあれば行けそうなんですけれども。 もし!トランポリン買ってあげちゃう!プレゼントしちゃう!とか、渡航費プレゼントしちゃう!という神様みたいな方がいらっしゃったら
笑顔を繋ぐ旅とともに 世界中に恩を送り笑顔を贈らせて頂きたいなと思います。
そんな素敵な方がいらっしゃったらfacebookメッセージか mailをいただければ嬉しいです^^ flyhigh.map@gmail.com
*FLY HIGH世界の笑顔を繋ぐ旅 書籍予約・amazonレビューはこちらから^^
最近の恋mai "おはようって言いたかっただけ"
*石原舞インタビュー記事
アセナビ
http://asenavi.com/archives/6169
開発メディアganas
http://www.ganas.or.jp/20160302flyhigh/
iammai